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逆境に打ち勝て!-Stand up to the victory-

Vガンが好きな人が、機械や世の中のことに対する疑問をぼやぼや書き残します(黒歴史)

仮面ライダーディケイドから見る二次創作の可能性

その他

 

私は仮面ライダーディケイドという作品が大好きです。

それは仮面ライダーの負のイメージを払拭して加えていろんな世界の扉をノックしやすくしてくれたからです。

 

仮面ライダーというと「暗い」「わかりにくい」イメージが強いのです。これは幼い頃に放映してた仮面ライダークウガとかアギトとか龍騎とか・・・これらを幼稚園のころからみるほど屈強な子ではなかったのです。龍騎のあのカードをアレして戦いかたは真似しましたけど話の内容まではとても理解できませんでした。

そして月日は流れて高校生になり、先輩から仮面ライダーディケイドという作品を勧められたのです。

見る気はなかったのですが、30話程度で30分だし、当時Vガンを見終わってたので30話程度はそこまで多い話数と感じなかったのでほかに見たいものもなかったので見ました。

 

恋に落ちました((

 

どのくらいかというと一日24時間で全部見て次の日に映画二作と外伝(ネット版 仮面ライダーディケイド オールライダー超スピンオフ)を全部見たくらいです。

 

そして私はこの作品の本編27話BLACK×BLACK RXでさらにうっとりとしてしまい、そのまま仮面ライダーブラックとブラックRXを全編見て、そのあと仮面ライダーガイムを見たくらいには仮面ライダーの世界にハマってしまったのです。

 

まあ基本的に私はこういう「お祭り作品」が好きなのでかなり肩を持っているところというのはあるのですが(たとえば無双シリーズやBASARAシリーズ、スーパーロボット大戦ガンダムマキシブーストやビルドファイターズなどなど、はてや艦隊これくしょんや刀剣乱舞ストライクウィッチーズなどもここに含まれるのかもしれません。そして、ガールズアンドパンツァーも。探せばもっとたくさんあるでしょう。)事実ディケイドの前作仮面ライダーキバのやり方で作り続けていたら、1990年~2000年のような「仮面ライダー空白期間」というのは絶対出てたでしょう。ディケイドの商業効果は数字として出ています。(これはJやZO、シンがテレビ放映されていない話をしているのであって、J、ZO、シンをなかったことにしている意味ではないです)

私はディケイドがなければガイムで虚淵玄が脚本を書くこともなかったとすらも思います。

 

仮面ライダーディケイドという作品は、その作品自体が仮面ライダーの公式二次創作だと私は思います。というか「リ・イマジネーションライダーズ」とかそうでしょww

いろいろな意見を見て「俺たちの仮面ライダーを汚すな」という人は多々いますが、仮面ライダーを詳しくない私が見ると「へぇ~この仮面ライダーはこういう話なのか」とすんなり飲めてしまいました。そして「面白そうだから見直そう(新しく観よう)」と思えました。

 

二次創作についてまわる著作権問題の「暗黙の了解」は「愛によって成り立つ」とわたしは勝手に判断していますので、あまりにもひどい「愛の無い(わかりやすく言えば商業目的や完全なコピーやトレース)」のものが増えると規制せざるを得ないというところもありますが、企業や作品に関わった人たちが「黙認」しているということは「どうか二次創作で救ってやってくれ。愛してやってくれ」と言ってるように思わざるを得ません。

それをディケイドは公式でやっちゃうんだからすごい(笑)

 

 

そしてディケイドには鳴滝というキャラクターがいます。

これは上記に挙げたお祭り作品には見られないキャラクターだと私は思います。

何をしても「おのれディケイド!この世界はディケイドによって破壊されてしまった!」と言うのです。ある考察サイトでこれは「作品アンチそのものなのではないか」という考察があり納得しました。叩く割には光夏海を助けたり意味不明行動が多いのもそれだと納得がいきます(笑)

クソだ!という作品にも「ここは好き」とかありますもんね。自分もそういうタイプなのでわかります(笑)

愛情の裏返しもまた、愛情なんだなと思います。

映画平成VS昭和ライダーの最後の言葉がそれを大きく表してると思います。

 

あとは劇場版の「電波人間タックル」の存在だと思います。

仮面ライダーストロンガーに登場する改造人間ですが、仮面ライダーではないのです。タックルは普通なら歴史の海に消えていく宿命のキャラクターですが、タックルをこれからの「仮面ライダーという作品の消え去っていく多くの歴史」として表現させた、と考えてます。

「ユリコのことなんて誰も見てくれなかったよ・・・・・・」という言葉は、これは仮面ライダーの脇役ではなく、全ての作品や歴史に対する記憶からなくなっていったキャラクター、人間たちの心からの苦しみ悲しみの言葉でしょう。実際に映画中のユリコは亡霊なのです。

 

この「亡霊」を救えるのはディケイドではなくて、映画をみた自分たちだと

私は考察サイトを見て考えました。

 

 

(前略)

だが自分が最も目に見えて確認した変化は、子どもたちの反応である。
いまや昭和ライダーの存在が幼い子どもたちにも認知されるようになっているのである。
デパートのおもちゃ売り場で5歳ぐらいの子どもが「スーパー1のソフビ欲しい!」と
ねだっている様子を数年前までならば誰が想像できただろうか?
道端でアマゾンの声を真似している小学生の姿を誰が想像しただろうか?

そう、間違いなく――――――ディケイドはその役割を果たしたのである。

 

この現象をビルドファイターズや無双シリーズは起こしていますし(オールガンダムプロジェクトや歴史ヒストリアの長宗我部元親回などが顕著ですね)

HGUCVダッシュガンダムなんてビルドファイターズがなければ一生出なかったと思うのです。

かんこれによる戦艦三笠や刀剣乱舞全国の博物館の動きの例も同様のことだとわたしは感じています。私はそこまで歴史に詳しいわけではありませんが、古来から源義経真田幸村が小説で描かれるのは「みんなに忘れて欲しくない」という強い願いなのではないのでしょうか。

 

 

二次創作とはこういうことなんだと思うのです。

 

TVディケイドの最終回はループエンドでした

これを私は「仮面ライダーという概念に終わりは無い」というところで解釈したいと思います。

世の中すべてのこと、世に出た瞬間終りがなくなるのだと思います。

物語としてのディケイドの話はあえてしません!それこそ「おのれディケイド!」ですよ(笑)

賛否両論あると思いますが、私はこのディケイドから二次創作の可能性を見出しました。

あんな最終回(失礼w)にしたおかげで、仮面ライダーウィザードの最終回に「旅人」である「門矢士」が登場し、主人公をオールライダーと共に戦うんですよ。ね?最高じゃないですか 

 

だからみなさん!もっと二次創作して愛してください!そして作品の知名度を上げて企業の開催するアンケートなどの数字をあげましょう!そうすれば企業はその数字の「責任」をとらざるをえなくなった素敵なものをつくります(笑)そりゃそれでつくった作品がダメな可能性もありますが、作られないよりはマシでしょう。

 

 

 引用

『仮面ライダーディケイド』に関する私的考察(2011Ver')